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「アーユルヴェーダな暮らし」で得られる発想とは?



目に見えるものだけを信じていた時代が終わります。なぜかというと、これから、医療の本当のことなどが世の中に出てくるからです。真実は命の根源は力なのです。免疫力というか体力というか消化力というか、そういう本来持っている力です。それを理解し始めるときに大事なことは、目に見えないものを理解するというよりは感じとることです。

どうしてそうなのか?と疑問に思ったときに書物を調べて「理解する」のと、手のひらに石をもってずしんと感じる「重さ」で引力を知るのと、どちらがよりリアリティー深く大きいでしょうか?

まだ見ぬものに対して恐怖を感じるのは、目に見えないものに焦点を当てていくときに、なにか恐ろしいものに手を付けてしまうような、自分の力が奪われてしまうような、自分の培ってきたものを全否定されるようなそんな感覚なのかもしれません。

しかし、到底私たちには頭で理解できないことが、この世界には多いということは自明のことです。思い切って今年はその太古の昔から信じられている「目に見えないもの」に心を傾けていく時期ではないかと思うのです。

その為に最も適した教材はわたしたちの身体です。身体を通してその「目に見えないもの」を理解できるといったら不思議に思うでしょうか?

先ほどの手のひらの石をつかんだぐっと重い感じ、それは触覚でもって重さを感じている。それは目に見えない「重さ」です。それを身体で感じているのです。

同様に、湧き水に足を付けた時に、ひんやりと気持ちよく感じる。その冷たさもまた「目に見えないもの」です。

この季節、ひじやすねや背中が乾燥してかゆくなります。オイルをぬればしっとりとしてかゆみも和らぐ。これも目に見えない乾きです。

このようにその感覚器官で目に見えないものを感じ取っているのですから、まさに目に見えないものと目に見えるものの中間として、私たちは生まれながらにすでにそんなスゴイ機能を持ってきているのです。

 

その体感を通じて私たちは、目に見ない世界と目に見える世界の間でてをつないでいる。その中間で両者をつないでいるのです。だからもっと普通に、感じることに身を任せてみたら、目に見えないものにすんなりと入っていけるのです。

ヨーガの瞑想で、身体に目を向ける修養というものがありますが、これが、内観の第一歩になるといわれています。難しいことのようでこうして考えてみると意外と簡単なことに思えてきます…!

アーユルヴェーダな暮らしの勉強会 では、こういったお話していきます。ドーシャって何?というところから、目に見える身体と目に見えない気とか心とか、より精妙なスピリットのようなものまでなんとなくじわっと探っていきたいなと思います。これ、心身一如っていいます。

アーユルヴェーダな暮らしの勉強会 詳しくはこちら

 

意外に思うかもしれませんが、「自分ってなんだろう?」とか「これから自分は何をしていこうかな」とめぐらしている場合には、とても興味深いヒントがたくさんあると思います。色々な方に聞いていただきたいので、ぜひご参加ください!

ちなみに先ほどの「重さ」「冷たさ」「乾き」などは生命エネルギーを構成しています。

 

アーユルヴェーダとは? ご参考に

 

目に見えるものから、目に見えないものをも含めた世界観で生きる2021年は、きっと想像力を湧き立てる素晴らしい年になると思います。

 

 

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