気づくことができたならそれが進歩

どんなことでも、
私たちが感じたことは、それはそのままで良いと思うのです。
いいとか悪いとかつい考えてしまいますが、
○○をしたい、と思ったらしたらいいし、
○○をしたくない、と思ったらしなければいい。
もしその感じたことが我欲から出ていたとしたなら、
行動の後で、いずれ何らかのバツが自分にやってくるでしょう。
だから、その時にわかるのです。自分は欲張ったんだってわかるのです。
もしその感じたことが自分の芯からの意思であったなら、
行動の後で、花のような結果がでるでしょう。
だから、その時にわかるのです。自分は真の心に従ったからだとわかるのです。
バツがやってきた時に、「自分の我のせいだ」と腑に落ちた時、
気づくのです。 その時に気づく。
気づくことができたならそれが進歩なのであって、
人から教わるものではないようです。
いいとか悪いとかで体裁よく覆い隠してしまうと、
いつまでも進歩はこないのです。
すべて自分からはじまるのです。